おしたび

がんがら橋とがんがら落

〒369-0112  埼玉県行田市大字前谷

がんがら落は、農業用の水路として利用されていたが、今日では排水路としての機能もあり、熊谷~行田を通り、鴻巣市鎌塚付近で前谷落としに合流。
日光脇往還と交差する場所は、現在がんがら橋として地元住民には認識されており、かつて明治時代にはこの上を馬車鉄道が走っていた。
江戸時代、享保年間には忍藩主が藩の女性たちに足袋づくりを奨励し、明治時代になりミシンなどの導入により 足袋づくりは最盛期を迎えた。
他方で忍城下付近は交通網が白紙地帯で足袋を輸送する手段に困る。
そんな中で馬車鉄道が誕生し、行田~吹上区間を通っていた。
かくして、がんがら落とし上に架かるこの橋のモチーフは、「馬車鉄道」となっている。

がんがら橋

20年前の話であるが、ザリガニいっぱい釣れたのでござる。
母上に煮干しを少々分けてもらい、割箸にタコ糸を結びつけてその先に煮干し。
がぶりとはさみで、その後には後ろに下がる。(海老といっしょ)
それにしても現在でも農業用水としてこのあたりでは利用されているが、ゴミが落ちている。
我が藩の風土を大切にせねばならぬな!

周辺写真・関連写真

がんがら大橋
がんがら落
行田市門井町付近

がんがら大橋の下流には、もうひとつがんがら橋というものが存在します。
新幹線をくぐると丁度ものつくり大学に出ますが、その先を行田市街方面へ行こうとしても田畑のあぜ道しか残っていない為、日光脇往還がこちらではない事がよくわかります。
佐賀橋、がんがら橋の上を渡るルートが日光脇往還であり、忍馬車鉄道だったという事から現在のがんがら大橋付近が以前の橋が架けられていた場所と推測できます。

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