おしたび

前砂の一里塚

〒369-0132   埼玉県鴻巣市前砂8

江戸時代初期、参勤を契機として街道が整備され、主な街道には距離の目安として一里塚が築かれた。慶長見聞集によると、中仙道の一里塚は慶長九年(1604年)に築かれた。
一里塚は、江戸日本橋を起点として一里(約4㎞)ごとに、街道両側に五間(約9m)四方、高さ約十尺(約3m)の盛土をし、上部に榎や松を植樹したもので、馬・籠の駄賃や、道程の目安になるとともに、旅人の憩いの場でもあった。日本橋から十三里のここ前砂の一里塚は、文化年間(1804年~1818年)完成の中山道分間延絵図によれば、街道の両側(現前砂681番地に西塚、71番地に東塚)に榎の茂った塚が描かれているが、現在は両塚とも残っていない。
ちなみに鴻巣市域では十一里目の馬室原の一里塚(西塚が現存、県指定文化財)、十二里目の箕田の一里塚が確認されている。なお、次の一里塚は、間の宿吹上の街並みを過ぎ、荊原の権八地蔵尊の先、久下の長土手にある。

前砂の一里塚

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