おしたび

原馬室一里塚(ハラマムロ)

〒365-0041  埼玉県鴻巣市小松4丁目1−13

徳川幕府は参勤交代を契機として、街道の整備、宿駅の 制、伝馬の制を定めた。一里塚は、街道整備のひとつで、主な街道に設けられた距離の目印である。
江戸の日本橋を起点として、一里(約四キロメートル)ごとに道の両側に五間(約一〇メートル)四方の塚を築き、その頂上に榎や松などが植えられた。中山道の一里塚は、 慶長十七年に築かれた。
この一里塚は、当時の中山道を挟み両側に築かれた一対のうち西側のもので、旧中山道の道筋が分かる貴重な資料である。
なお、東側の塚は明治十六年の高崎線敷設の際に取り壊された。
明治維新以降交通手段の変化と発達にともない、一里塚 のほとんどが取り壊されて現存する例は少ない。

平成二十四年二月
明治十六年(一八八三)
埼玉県教育委員会
鴻巣市教育委員会

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