おしたび

久下の一里塚

〒〒360-0026  埼玉県熊谷市久下2丁目

吹上の間の宿を越え、榎戸堰~途中権八地蔵~久下の長土手。
堤防から行田駅が確認できます。
それを熊谷宿方面へ、するとすぐの堤防右下になにやら松が植えてあります。
これが久下の一里塚です。
その先に馬頭観音がポツンとあるので、現在の堤防の上に街道があったわけではなく、中腹に通っていた事が伺えます。
高崎線の行田駅に程近いですが、熊谷市久下になります。
堤防の上から左側を見渡せば、晴れた日には浅間山、秩父武甲山、富士山まで見渡せます。
また、手前にある河原には、かつて村があったとかで、消えた幻の村「新川村」というのだそう。
少し散歩がてら、茂みに入って歩いてみようかとも思いますが、なにか出てきそうです。
尚、堤防の右側も晴れていれば、赤城山、白根山、男体山、筑波山と関東のど真ん中からぐるりと名山が確認できます。

久下の壱里山

中仙道の歩き旅をここで一旦終わりにするのであれば、お疲れさまの乾杯は、「海鮮厨房かず美」さんがおすすめです。
おすすめは豆腐!
これはクリームチーズみたいな自家製豆腐です。
海鮮厨房かず美

周辺写真・関連写真

久下の長土手から浅間山を望む
馬頭観音(手前)久下一里塚(奥)
幻の村「新川村を望む」

一里塚跡(久下新田)

江戸の日本橋を起点とする中仙道は、板橋・志村を経て戸田の渡しから埼玉県へ入る。慶長九年 千六百四年 幕府は、大久保長安らに命じて、この街道に一里塚を築かせた。
一里塚は道の両端に方五間()九メートル40センチの塚を築き その上に榎やケヤキを植えたもので街道に風情を添え、旅人には里程の目印になったり憩いの場所にもなった。

江戸時代の川柳には「くたびれたやつが見つける一里塚」という句もある。
熊谷市教育委員会

久下、太田の郷土かるた

びの案内 中仙道の 一里塚

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