おしたび

中川の碑

〒361-0024  埼玉県行田市小針

古代蓮の里からさきたま古墳公園方面へ
サイクリングロードになっており、さきたま古墳公園までまっすぐに走っていけます。
近くには、弁天門樋がありレトロな樋門が夕焼けに染まってなかなかいいシチュエーションです。

中川の碑

中川(羽生市大沼付近)
中川起点の碑にほど近い羽生市大沼付近では中川は既に川幅が広く、この地の豊富な水量を改めて確認できます。

周辺写真・関連写真

なぜカッパ?
石碑の裏
横にある弁天門樋

中川と元荒川

カッパ博士への質問

元荒川ってどんな川?

熊谷市佐谷田地先を起点として、越谷市中島地先で中川に合流する延長約61km 流域面積約216k㎡の山岳部からの源流のない川だよ。
そのため、主に雨水、水田の落ち水、生活の排水が水源となっているんだ。また、農業用水の貴重な水源にもなっていて、農業用水を取水するため鴻巣市には、榎戸堰、三ツ木堰、安養寺堰、さいたま市には末田須賀堰という大きな堰もあるよ。桜がたくさん植えられているところもあって、地域の人々の生活にとっても役に立っているんだ。

元荒川はどうやってできたの?

その名前のとおり、昔は荒川だった。
徳川家康が三河の国(現在の愛知県)から江戸(現在の東京都)に国替えになり、徳川幕府を開くと、利根川や荒川の瀬替え(川の道筋を替えること)を行い、広大な水田を切り開いた。1629年(寛永6年)家康の家臣だった伊奈忠次が荒川を治めるため熊谷市久下で荒川を締め切り、和田吉野川・市野川・入間川筋を本流とするよう瀬替えを行った。(利根川の東遷に対し荒川の西遷ともいわれる)そして、以前の荒川の川筋が下流に残り元荒川となったんだ。

元荒川が合流する中川はどんな川なの?

羽生市の葛西用水路左岸に起点があり、埼玉県東部の水田地帯を流れる。そして、都内に入って、中川と新中川に分かれ、東京湾に注ぐ、延長約、84kmの川だよ。この川も山岳部からの源流がなく低平地約987k㎡(埼玉県の面積の約26%)の雨水や生活排水、水田の排水を 34の支派川(元荒川も含まれる)で集めて流れる珍しい川なんだ。

「源流のない川」ってどうしてできたの?

それはね!江戸時代に、それまで東京湾に向かって乱流していた利根川、渡良瀬川の流路を東へ変え常陸川筋を利用して河口を銚子に移したこと。また、利根川に合流していた荒川を入間川、墨田川筋を利用して西に移した。これらにより、古利根川、元荒川、庄内古川などの山からの源流がない川が生まれたんだ。さらに、江戸幕府は、お米を増産するために、水害の減ったこの低平湿地、池沼の水田開発を広く進め、旧川を排水路や用水路として利用したんだ。現在の中川水系の水田地帯は、こうしてできあがったんだよ。

中川水系略図

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